本日1月24日、大阪であったドール関連の即売会に行きました。
これによる成果の記事はまた別に書くとして、ついでに針妙丸とサグメ様に関係しそうな場所をいくつか巡ってきました。
その写真等と、いろいろ調べて思ったことについてまとめます。
神話とかについて触れることもありますが、当方ズブの素人なので大体間違ってると思います。
そこらへんご了承ください。
今回は
・少彦名神社
・比売許曽神社(と産湯稲荷神社)
・天探女磐船旧蹟
・高津宮
・住吉大社
へ行きました。
例によって畳みます
まずは少彦名神社。定番にして王道。
ビルとビルの間に通路がありまして、通路の奥に右の写真のような鳥居と境内があります。
薬祖神として祀られているためか、ビル内の通路にはおくすりがずらーーっと並んでおりました。商売の気配。
境内から見上げると、樹齢130年(だっけ?)のご神木がいいかんじにモサっていました。
次に比売許曽神社。祭神は下照比売命です。
比売許曽神社は安土桃山時代に現在の場所に移されており、最初は現在の産湯稲荷神社(右の写真)の位置にあったようです。
産湯稲荷神社は井戸が汲めますよ!トトロで出てくるやつみたいなの!現代っ子には心躍る体験でした。
何で下照比売命の神社へ?とお思いの方もいらっしゃるかと思いますので、ここで説明します。
下照比売命は、古事記では、天探女が仕えた天稚彦の妻です。
「祭神下照比売命 大己貴命の御女にして、天稚彦命の妻、味耜高彦命の妹なり。亦の名、稚國玉姫、或は天探女とも號す。」
と書いてありました。
次の段『神代巻』からの引用ではちゃんと別人として書いてるのに、どうしてそこで混同してしまったのか……。
他にも本当の祭神は阿加流比売神だとか、これも下照比売命と同一視されるとか、本によって記述がバラバラで、だいぶ混乱しているようです。
あと天王寺区役所の観光案内とかでもちょいちょい下照比売命と天探女が混同されてるっぽいんですけど、この風潮マジイミフなので誰か詳細キボンヌ。
このへんのごちゃごちゃが興味深くて、一度行ってみたかったのです。
行ったからどうということもなかったんですがね。
唐突に話変わりますが、『摂津名所図会』の、磐船旧蹟の欄(上記リンクの次ページ)では
「是即天探女命磐船に乗りて天降り給ふ時、其とゞまりし地なりとぞ。故に高津といふ名あり。」
と書いてあります。
『摂津国風土記』逸文にも何かそんなかんじの記述があるみたいですが、ネット上でのしっかりしたソース見つけられませんでした(敗北宣言)
でも『摂津名所図会』に引用文は載ってるからいいか。
さらに、万葉集第三巻の、角麻呂の歌四首のうち一首に、天探女のことをうたった歌があります。
ひさかたの天探女が岩船の泊てし高津は浅せにけるかも
「昔、天探女が岩船で降りてきた高津も、今はもう浅瀬になっちゃったよ(意訳)」という感じでしょうか。
その磐船旧蹟の石碑が、現在は天理教阪府分教会の敷地内にあります。何でここに……?
読めないし!指で文字をなぞれば「舟」と「跡」だけかろうじて見えなくもないレベル。
要するに、高津という地名の由来は天探女の降臨から来ている、みたいです。
地名は現在も残っていて、高津宮(こうづぐう)という神社もありました。下の写真。御祭神は全く別の方々でした。
まあ地形については万葉集の時代に既に変わりつつあったみたいなので、現在なんか推して知るべしって感じなんですけど、何千年前か知りませんがサグメ様がここらへんに降りてきていらしたと考えると胸熱でした。
最後に住吉大社。下の写真は反橋。降りるときの方が怖かった。マジで。
住吉さんは『東方儚月抄』で、ロケットを月まで届ける力を貸してくれた神様でもありますね。
住吉さんのお使いが兎だそうで手水場にうさぎ、境内にもヒスイのうさぎ、朱印帳もうさぎ、お守りもうさぎ。うさうさでした。
敷地の奥の方に種貸社という末社があって、そこに一寸法師のお椀が!スクナアアアアーーーー!
あと一寸法師ストラップとか一寸法師文鎮とかも売ってました。小槌ストラップしか買えなかったけど。
いちおう一寸法師のルーツってことをプッシュしてくれてるんだなー、というのがわかってよかったです。
金色で妙にカッコイイ!
このあたりで日ごろの運動不足が祟って足超痛くなって帰りたさMAXだったので帰りました。
でも聖地巡礼もどきメッチャ楽しかったしまたどっか行きたいです。
それでは今回はこのへんで。